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漫画家という夢のためなら、自分の人生を捧げることができる!

こんにちは!日野市の職員Mです!
手塚治虫、藤子不二雄など、昭和を代表する漫画家たちが若手時代に暮らした「トキワ荘」。その現代版ともいえる漫画家たちのシェアハウスが日野にもあります。
今回は、「多摩トキワソウ団地(以下、「トキワソウ団地」)」に住んでいる白瀬(しらせ)いとしさんが、漫画家を目指す中で悩みや葛藤を乗り越え、夢を諦めなかった理由をお伺いしました。※取材当時


漫画家ではなく、看護師に

白瀬さんは、幼い頃からアニメ好きなご兄弟の影響もあり、ご兄弟が購入した少年漫画をご両親に隠れて読み、両親に怒られてもまた読んでしまうほど漫画が大好きでした。その頃から、なんとなく漫画家になりたいなと思うようになったそうです。

部屋にもたくさんの漫画がありました!

しかし、白瀬さんは高校卒業後、看護学校に入学し、卒業後は病院で看護師として働き始めます。というのも、白瀬さんのお母さんは看護師。
そのため、看護師として働くイメージができていたことや看護師の資格を持っていれば、職に困らないと思ったことで、看護への道を決めました。

「患者さんと話すのはいつも楽しかったですし、いろいろな話を聞かせてもらうことも多く、勉強になりました。

患者さんとの1番の思い出は、肺がん末期の患者さんと話したことです。患者さんは、入院前にした娘さんとのちょっとしたおでかけや一緒に家でご飯を食べることとか普通の生活が私にとっては本当に愛おしいんだ、とおっしゃっていました。
私はその話を聞いて、1日1日を大切に生きていきたいと思いましたし、看護師じゃなかったら患者さんに寄り添って話を聞く機会もなかっただろうなと思いましたね。」

患者さんと白瀬さんの様子
※この記事のために、白瀬さんに書き下ろしていただきました!

漫画家を本格的に目指そうと決意

白瀬さんは、看護師の仕事には満足していて、自分には合っていると思ったものの、常に頭の片隅には、漫画を描きたい、漫画家になりたいという気持ちがありました。
しかし、現実は厳しく、看護師の仕事は日中だけでなく深夜の時間帯も忙しかったため、漫画を描く時間をとることはできません。
そこで、白瀬さんはある決断をします。

「自分の夢を実現していくためには、今までと同じように働きながら漫画を描くのではなく、漫画一本でやっていかないと夢は実現しない!と思い、病院を辞めることにしたんです。当時、それなりに貯金もあったので、バイトもせず、漫画制作に力を入れようと思いました。

家族に仕事を辞めることを伝えると、金銭面の部分で心配されましたが、父は「もう自分の好きに生きたら?」と言ってくれて、仕事を辞める覚悟を決めることができましたね。

そのあと、すぐに退職届を出して、トキワソウ団地に入居することになりました。」

漫画との向き合い方に悩む

白瀬さんは、入居してからは漫画制作に専念していました。トキワソウ団地にいる方は、みんな本気で漫画家を志しているので、自分も頑張ろうという気持ちになったと白瀬さんは言います。
しかし、入居してから3か月が経った頃、スランプに陥ります。

「漫画を1本描き終わって、何人かの編集者さんに確認してもらい、アドバイスをいただいたのですが、自分の実力がついていかず、新しい物語を描くにも八方塞がりになってしまいました。ルームメイトはうまくいっているのに、なんで自分だけうまくいかないんだろうと思うこともありましたね…。

そんな時に、甲斐谷忍先生(※)がトキワソウ団地で入居者を対象としたお悩み相談会を実施していたんです。悩んでいることを先生に相談したところ、漫画制作は一旦やめて、自分の漫画への「好き」を見極めるために、とにかく漫画をたくさん読むことと、自分の好きなこと・興味のあることをやるように、とアドバイスをいただきました。

それで、いろんなジャンルの漫画を読んだり、自分の好きな映画をたくさん見たり、とにかく好きなことをして過ごしていました。途中で、自分は仕事をせずに、なんでこんなことばかりしているんだろう、と不安になることもありましたね…。

だけど、様々なジャンルのマンガを読んでいると、物語の作り方の糸口が見えてきたり、漫画がどういったものなのかだんだん分かってきたんです。
私は今まで、自分の「好き」という趣味感覚のような気持ちで漫画を描いていました。だけど、自分の目指しているのは漫画家という仕事なんだから、仕事の仕方や技を勉強しなくてどうするんだ、と思うようになったんです。看護師だったら、採血のやり方を勉強しないといけないじゃないですか。」

※漫画家。代表作は「ソムリエ」、「LIAR GAME」など
白瀬さんが今まで描いた漫画の一部を、見せてもらいました!

白瀬さんは、それからどういった物語やイラストが人気があるのかを勉強していこうと気持ちに変化がでてきました。そんなときに、「日野の地域全体で目指していきたい方向性」を分かりやすく伝えるための漫画を制作するプロジェクトに携わっていただくことになりました。

「私は日野出身ではないので、日野市に住んでいる人のことを知るために、中学校に訪問して、中学生に学校生活の様子や今ハマっていること、好きな漫画について話を聞いてみたり、日野市のイベントに参加して、市民の方に日野市の良いところ・悪いところを聞いて、漫画制作を進めてきました。

完成後に、「主人公の気持ちに共感し、自分も明日から頑張ろうという気持ちになりました」といったコメントを沢山いただいて、看護師として誰かのために働けていると思ったときに感じた高揚感と同じで、漫画家としても誰かのために役に立つことができるんだ、と嬉しくなったんです。」

「ヒノタネ」とは?
日野市では、これからの日野のありたい姿を描いた、日野地域未来ビジョン2030 を
策定しました。 中学生を中心とした若い世代を対象に、
ビジョンの中で大切にしている“自分らしさ”“個の幸せ”をテーマに、
ビジョンのストーリーブックを制作しました。
下記サイトからご覧いただけます!
https://www.tama-ebooks.jp/book/14960/

読者の親友になれるような漫画を描きたい

最後に、白瀬さんに今後の夢をお伺いしました。

「私は、漫画家という夢自体を諦めた方がいいかなと思うこともありました。でも、漫画家という夢に挫折しても、漫画とはずっと一緒にいました。

漫画って、所詮は読んで捨てられてしまうものだと思います。だけど、私にとって、これまで自分が買って読んだ漫画は宝物で、家に大事に保管してあるんです。自分が学生時代辛かった時や、漫画家という夢に挫折しかけた時に自分が救われたのは漫画があったからなんです。
自分をこれまで支えてくれた漫画のように、私も読者の親友になれるような漫画を描いていきたいです。」

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最後までご覧いただきありがとうございます☺
白瀬さんからインタビュー後に「実は、まだ漫画家になるという夢に挫折していないのかも…。本当の挫折とは、漫画家になるという夢を追いかけることを辞めてしまうことかもしれない。」と言われたことが、私にとっては印象的でした。
そして、「私はペンを握って描いている時がすごく幸せだから、この仕事を辞めても絵を描くことはやめないと思う。」とお話してくれました。
白瀬さんにとってイラストや漫画のストーリーを描くことは、生活していく上できっと必要不可欠なものなんだろうなと、私は思いました。
夢中になれることを持っている方はそう多くはいないかもしれないですね。
これからも漫画家という夢に向けて奮闘する白瀬さんを応援しています!