こんにちは!日野市の職員Mです!
手塚治虫、藤子不二雄など、昭和を代表する漫画家たちが若手時代に暮らした「トキワ荘」。その現代版ともいえる漫画家たちのシェアハウスが日野にもあります。
今回は、「多摩トキワソウ団地(以下、「トキワソウ団地」)」に住んでいる白瀬(しらせ)いとしさんが、漫画家を目指す中で悩みや葛藤を乗り越え、夢を諦めなかった理由をお伺いしました。※取材当時
漫画家ではなく、看護師に
白瀬さんは、幼い頃からアニメ好きなご兄弟の影響もあり、ご兄弟が購入した少年漫画をご両親に隠れて読み、両親に怒られてもまた読んでしまうほど漫画が大好きでした。その頃から、なんとなく漫画家になりたいなと思うようになったそうです。
しかし、白瀬さんは高校卒業後、看護学校に入学し、卒業後は病院で看護師として働き始めます。というのも、白瀬さんのお母さんは看護師。
そのため、看護師として働くイメージができていたことや看護師の資格を持っていれば、職に困らないと思ったことで、看護への道を決めました。
漫画家を本格的に目指そうと決意
白瀬さんは、看護師の仕事には満足していて、自分には合っていると思ったものの、常に頭の片隅には、漫画を描きたい、漫画家になりたいという気持ちがありました。
しかし、現実は厳しく、看護師の仕事は日中だけでなく深夜の時間帯も忙しかったため、漫画を描く時間をとることはできません。
そこで、白瀬さんはある決断をします。
漫画との向き合い方に悩む
白瀬さんは、入居してからは漫画制作に専念していました。トキワソウ団地にいる方は、みんな本気で漫画家を志しているので、自分も頑張ろうという気持ちになったと白瀬さんは言います。
しかし、入居してから3か月が経った頃、スランプに陥ります。
白瀬さんは、それからどういった物語やイラストが人気があるのかを勉強していこうと気持ちに変化がでてきました。そんなときに、「日野の地域全体で目指していきたい方向性」を分かりやすく伝えるための漫画を制作するプロジェクトに携わっていただくことになりました。
読者の親友になれるような漫画を描きたい
最後に、白瀬さんに今後の夢をお伺いしました。
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最後までご覧いただきありがとうございます☺
白瀬さんからインタビュー後に「実は、まだ漫画家になるという夢に挫折していないのかも…。本当の挫折とは、漫画家になるという夢を追いかけることを辞めてしまうことかもしれない。」と言われたことが、私にとっては印象的でした。
そして、「私はペンを握って描いている時がすごく幸せだから、この仕事を辞めても絵を描くことはやめないと思う。」とお話してくれました。
白瀬さんにとってイラストや漫画のストーリーを描くことは、生活していく上できっと必要不可欠なものなんだろうなと、私は思いました。
夢中になれることを持っている方はそう多くはいないかもしれないですね。
これからも漫画家という夢に向けて奮闘する白瀬さんを応援しています!