見出し画像

現役バンドマンがタルタルソースを相棒に、新たな夢に向かって走り出す話


こんにちは!日野市の職員Mです!今回は、タルタル食堂の店主の田井 信明(たい のぶあき)さんがお店をオープンするまでのストーリーを紹介します。

日野台にある「タルタル食堂」。住宅街を歩いていると、黄色い柱にかわいらしい看板を発見。

「タルタル食堂 営業中!」と書かれていますが、店舗はそこから奥まったところにあるようです。奥に進むと、シャッターがあり、エビフライ🍤や卵🍳、ギター🎸の手書きタッチのイラストが描かれています。本当に、食堂がここにあるのか?と思いながら、扉を開けると…

バンド中心の生活から家業メインの生活に

そこには、近隣の企業で働く方が来店し、多くの方がタルタルソースののった定食を頼んでいるようです。店内を見渡すと、あちらこちらにバンドのCDやポスターが置かれています。

実は、田井さんは現役バンドマンでドラマー!今でも全国を飛び回っています。
そんな田井さんは35歳までは、バンド中心の生活をしつつ、日野市で家業の金属加工処理の仕事を手伝いながら、世田谷区で暮らしていたと言います。

「自分が中学生の時にバンドブームが来て、それからずっと音楽にドハマりしています。
以前は、バンド中心の生活をしていたのですが、どうも音楽だけじゃ飯が食えない、そろそろこれからの暮らしのことを考えないとなと思ったんです。
ちょうどその頃、うちの親父が病気になったこともあり、音楽活動を辞めはしなかったものの、そのタイミングで、日野に引っ越してきて家業メインの生活になりました。」


左から2番目が田井さん。「ステシュラ」という4人組のバンドをやっています。

ライブもできる飲食店に

タルタル食堂は、もとは工場だったそうです。
田井さんは、この場所で家業をお父様から受け継ぎ、金属加工処理の仕事をしていました。

「自分の祖父の代から始めた事業で、もともとは府中に工場を構えていましたが、約40年前に日野に工場を移してからずっとこの場所で祖父と親父が金属加工処理の仕事をしていました。
6年前に親父が亡くなってからは、自分が3代目として家業を継ぎました。」

工場を解体した時の写真

家業を継いでから、操業を続けていくうちに、徐々に機器の劣化が目立ち始め、機器を更新することになったと田井さんは言います。

「機器を買い替えようとしたときに、見積りをとったのですが、見積書に書かれている金額に驚愕しました。当時、そんな貯金もなかったので…。しかし、機器を買い替えないと仕事ができない、機器を買い替えると負担が大きい、と悩みに悩み、結果、工場をたたむことになりました。」

田井さんは工場をたたんだ後、これからの生活を考え、再び課題に直面します。そこで、工場をたたんでそのままにしておくのではなく、せっかくなら自分のお店を持ちたいと思うようになります。

「これまで音楽しかしてこなかったため、特にスキルもないし、資格もないし、これからの生活をどうしようか悩みました。バイトだけだと生活は厳しいし…。

そこで、この建物を活かして、ここで自分のお店を持ちたい、と漠然と思いました。誰でも自分のお店を持ちたいなと思うことってあるじゃないですか。

そこで、どんなお店にしたいかと考えたときに、自分のバンド仲間のことを思い出したんです。
自分が仲良くしているバンド仲間は、すげえ才能あるのに、家族ができてやめてしまうとか…、逆に売れている仲間もいるし、そういう人たちがライブするための場所にしちゃおうと思いました。
でもライブハウスだけだと、経営が厳しいし、飲食もできるようなお店がいいだろうと思って、ライブもできる飲食店をつくろうと思い至りました。」


右から2番目が田井さん。バンドサポートメンバーとして
オルガンが入ることもあるようです

タルタルにこだわった理由は?

その後、田井さんはお店の開業に向けて、知り合いの飲食店で修業をし始めます。しかし、修業してから2年が経ち、自分のお店の開業に向けて、準備を始めた頃、新型コロナウイルスが流行し始めました。
飲食店を経営している先輩や仲良くしている友達からはこの時期にお店を開業するなんて、やめた方がいいと何度も止められたと言います。

「周りの人には開業を止められましたが、お店としてやっていかれないということが分かったら、またその時考えればいいや(笑)。という考えで自分はいました。
問題は、今ある工場をどうやってライブもできる飲食店にするか、ということでした。市の融資は決まったのですが、正直そんなに貯金もなかったので、大工の仕事をしている先輩に工場の解体を手伝ってもらいながら、基本的には自分ですべて行いました(笑)。天井を貼りなおしたり、ペンキを塗ったり、大変でしたけど、今ではいい思い出です。」

お店の開業は様々な方に反対されましたが、田井さんが強い気持ちを持ち、自分自身でお店を作ったからこそ、手作り感のあるあたたかいお店になりました。
そして、気になるタルタル食堂という店名。とても魅力的ですが、実は、日野市から約450km離れた京都市にあるお店とご縁があるようです。

「このお店は住宅街の中にあるので、なにか話題性のあるものにしなければ目立たないな、と思っていたんです。
2018年に、自分と同じバンドのボーカルの親父さんが、京都市でタルタルソースを扱った飲食店をオープンしたんです。親父さんにはいつも良くしてもらっていて、東京でもタルタルソースを扱ったお店を開いてほしいな、と言われていました。
その後、親父さんが亡くなり、その約束を実現させたいという気持ちもあり、タルタルソースを扱ったお店をオープンすることになりました。」

スナックのような地域の居場所

いろんな方の思いが詰まったお店をオープンさせた田井さん。お店で大切していることをお伺いしました。

「ランチの時間は話す余裕はないくらい忙しいですが、夜の時間帯はお店に来ていただいたお客さん一人ひとりと話すようにしているんです。
もともとおもてなしが好きなので、お客さんが笑っているとすごく嬉しい気持ちになりますね。
タルタル食堂ではライブ仲間を呼んで、音楽ライブを行うこともあるので、音楽で人と人とをつなぐことも大切にしていきたいと思っています。
先程お話した京都市にあるお店は、地元の人が多く集まっていて、地域の方から愛されているお店なんです。タルタル食堂も多様な人が集い、地域の人の居場所となるスナックみたいなお店にしたいと思っています。」

定期的にウクレレ教室を開催
レッスンの後はご飯タイムもあるようです

-----------
最後までご覧いただきありがとうございます☺
バンドマン🎸と言えば、私は、音楽への愛と情熱を捧げ、自分の夢に向かって、自分の信じた道を突き進むといったイメージで、田井さんもそのイメージ通りの方でした。
田井さんは、自分ひとりだけで行動するのではなく、バンドメンバーなどと関わりながら、様々なアイデアや発想を取り入れて自分の夢の実現に向けて、取り組まれている姿が魅力に満ち溢れているなと思いました。
これからも夢の実現に向けて進んでいく田井さんを応援しております!